楠木正成 くすのきまさしげ
生没年:1294-1336
訪問日:2001.5.7
所在地:東京都千代田区 皇居外苑
建立:1900(明治33)
原型:高村光雲、石川光明、山田鬼斎、後藤貞行
鎌倉末期から南北朝時代の武将。後醍醐天皇の倒幕のため挙兵するとこれに呼応して下赤阪城に挙兵。後醍醐天皇が敗れて隠岐に流されている間も幕府と戦闘を続け、2年後には隠岐を脱出した後醍醐天皇を助けて鎌倉幕府を倒す。その後後醍醐天皇の新政に離反した足利尊氏を討伐。しかし翌建武3年、九州から再び攻め上った尊氏の軍勢に湊川の戦いで敗れ自刃した。
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明治時代、その権威発揚のため皇城外に銅像を建てる案が持ち上がり、皇国史観で忠臣とされた楠木正成が後醍醐天皇を迎える姿が選ばれます。これに住友吉左衛門が別子銅山開坑200年を記念して像を寄進することになり、その製作が東京美術学校に委嘱されます。顔は高村光雲、身体は山田鬼斎と石川光明、馬は後藤貞行の担当で、当時の教授陣を挙げての一大プロジェクトでした。鋳造を担当した岡田雪聲はこのために渡米して鋳造法を研究し、甲冑等を別に製作して取り付け、馬は胴体と足などを分けて鋳造する方法で完成させたそうです。
靖国神社の大村益次郎像、上野の西郷隆盛像とならんで東京三大銅像とされています。日本近代彫刻の黎明期に当時の最高技術をもって製作された歴史的にも重要な騎馬像です。特に乗馬の鬼気迫る迫力がすごい。この馬を担当した後藤貞行は馬の解剖までして徹底的に造形を作り上げたといいます。その熱意がこの像の凄みを増しています。