聖徳太子 しょうとくたいし
生没年:574-622
訪問日:2004.6.13
所在地:奈良県生駒郡平群町 信貴山朝護孫子寺
建立:1979(昭和54)
制作:北村西望
飛鳥時代、推古天皇の摂政として天皇を中心とした政治体制を確立させる。聖徳太子は後世の呼び名であり、実際は厩戸皇子。遣隋使を派遣して隋の技術や政治を学ばせ、氏姓制によらず能力のある人物を取り立てられる十二階冠位や、官僚の行動規範を定めた十七条憲法を起こした。昭和の一万円札の肖像として非常に有名。一度に10人の話を同時に聞くことができたという逸話もある。
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聖徳太子が物部氏討伐に向かう途中この地で毘沙門天が顕現したことから、この地に信貴山朝護孫寺が創建されました。寅の縁起にあやかって寅がたくさんいます。
北村西望氏の作品。横笛を吹きながら涼しげな目の馬上の太子。信貴山は生駒山にあって、名阪国道から天理を通って大阪に抜ける途中です。