毛 利 敬 親

Mouri Takachika
Mouri Takachika

□ 基本情報

毛利敬親 もうりたかちか

生没年:1819-1871

訪問日:2005.5.3

所在地:山口県山口市 亀山公園

建立:1980年3月

制作:不明 (原型長沼守敬?)

題名:毛利敬親公之像


□ 人物

幕末の長州藩主。19才で藩主となり、村田清風を登用して財政難にあった藩を立て直す。また教育にも力を入れ、江戸に藩校を開いたり国許の明倫館の改革を行った。

 

もっと詳しく ⇒ Wikipedia


□ 由縁

公武合体を図った長井雅楽の失脚後、藩論は攘夷へと傾いた。直後の1862年、萩から山口へと藩庁が移される。その後の下関戦争の敗北と第一次長州征伐の責任をとって一時は萩に蟄居するが、倒幕後に山口に戻る。最期は山口藩庁内で死去した。


□ 付言

そうせい候と呼ばれた長州藩主です。あれだけの過激な人材を輩出しながら藩が分裂せずに維新の立役者となっていったのには、この藩主の存在も少なからず大きかったでしょう。もともと明治32年に亀山公園内には毛利家の6人の像(敬親、元周、元蕃、元純、元徳、吉川経幹)が立てられましたが、像は戦時供出され、敬親候の像だけが再建されました。戦前の写真と比べるとほぼ同じ像に見えます。原型が残っていたのかもしれません。


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