山形有朋 やまがたありとも
生没年:1838-1922
訪問日:2005.5.3
所在地:山口県萩市 中央公園
建立:1929年 (昭和4年)
制作:北村西望
題名:山県有朋元帥騎馬像
長州藩出身の明治の元勲。青年時には山県狂介として奇兵隊の一員として活躍。明治維新後は欧州視察の後に軍制改革を行い、自らは陸軍卿に就任。軍政に手腕を振るった。1877年の西南戦争、1894年の日清戦争ではいずれも総指揮を執る立場で参戦。1989年には内閣総理大臣となり、第一次山県内閣を発足させる。長州閥の重鎮として長く政界に影響力を持った。
北村西望氏作のこの像は、昭和2年に陸軍省の依頼を受けて制作されたもの。初め霞ヶ関の陸軍大臣官邸に置かれた。戦時中の金属供出を免れたものの軍人の像は望ましくないということで上野公園の片隅に移設される。その後、長く野ざらしになっていたが北村氏がアトリエを構えた井の頭公園に移転。平成4年には生まれ故郷である萩市野球場前(現在の中央公園)に移っている。
軍閥政治の巨魁として評判のよろしくない方のようですが、中間の身分から明治維新の激動の波に乗ってその頭角を現し、新政府の軍政の中枢を担ったところはそれほどの才覚の持ち主であったと思わせます。伊藤博文らとの親交深く、大正初期まで非常に大きな影響力を持っていたという点でも、いわゆる大物政治家であったということです。この騎馬像は流転を経て萩市へ辿り着き、吉田松陰や伊藤博文のゆかりの萩旧城下から少し離れた場所にひっそりと立っています。しかし戦前の稀少な像のひとつとして、もっと観光客が訪れてもよいかなと思います。