佐々木盛綱 ささきもりつな
生没年:不明
訪問日:2016.10.9
所在地:岡山県倉敷市 盛綱橋
建立:1989年10月
制作:鬼頭正信
平安鎌倉時代の武将。佐々木氏は宇多源氏の一派で元は近江を地盤としていたが、平治の乱で敗れ関東に落ち延びる。盛綱は伊豆に流罪となっていた源頼朝に16歳から仕え、その後の平氏との緒戦に参加し活躍する。
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一の谷から逃れてきた平氏は瀬戸内海に撤退。源範頼の率いる軍勢は、当時まだ島々が残っていた備前児島の藤戸に平行盛と海峡を隔てて対峙する。先陣の功を狙った佐々木盛綱は地元の漁師から浅瀬の場所を聞き出し、行盛の手勢を追い散らすことに成功する。その時盛綱は他の武将に漏れないようその漁師を殺害したという。後に供養のため藤戸寺で大法要を開き経を埋めた小島は、経ヶ島と呼ばれて現代に伝わる。
源平の古戦場です。内陸のようですが、干拓によって周辺の小島は地名にその名残をとどめるまでになっています。この橋は大正15年に最初のトラス橋が架けられ盛綱橋と命名されました。平成元年の架け替えの際にこの盛綱像が建立されています。900年という時の流れを感じる場所です。